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今年で第3回目となる《市川準監督特集》。今年は、「市川準と昭和」と題して『会社物語 MEMORIES・OF・YOU』と『ノーライフキング』を前半3日間に2本立て上映。後半の4日間は「市川準と男と女」と題し『東京マリーゴールド』と『竜馬の妻とその夫と愛人』の2本立てをお届け。
初日には、『会社物語 MEMORIES・OF・YOU』の脚本・鈴木聡さんと特集上映企画者の犬童一心監督のトークイベントを開催。司会者は市川準監督と親交の深かった映画評論家 尾形敏朗さん。
11月19日土曜日、市川準監督特集初日『会社物語 MEMORIES・OF・YOU』最終上映後、映画製作秘話から”監督・市川準の映画”のお話など、盛りだくさんのトークを展開。(以下レポート)
昭和の会社 28歳の考えた定年退職の物語
尾形敏朗(以下、尾形)今日から市川準監督特集、『会社物語』と『ノーライフキング』を上映しております。この特集の企画者である犬童一心監督と、『会社物語』の脚本を書かれました鈴木聡さんをお招きしてのトークイベントです。
犬童一心(以下、犬童)こんばんは、犬童です。よろしくお願いします。今回『会社物語』を27、8年ぶりにフィルムで観て、昔よりもずっと感動したし、「市川準すごいな!」みたいに思いました。
尾形今回は、脚本を書かれました鈴木聡さんもお招きいたしました。
鈴木聡(以下、鈴木)どうも鈴木です。よろしくお願いします。
尾形改めまして、司会進行は尾形で担当させていただきます。よろしくお願いします。まずは鈴木さんのプロフィールを簡単に。1959年東京生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社して、コピーライターとして活躍されました。それと同時に、「サラリーマン新劇 喇叭屋」、現在の「劇団ラッパ屋」という劇団を結成されまして、演劇・映画・ドラマ・新作落語の脚本執筆など幅広く活躍されています。一般的に有名なのはNHK連続ドラマ小説の、竹内結子さんが出た『あすか』、榮倉奈々さんの『瞳』の脚本。今は来年の公演に向けて準備中ということで。
鈴木そうですね、はい。
尾形鈴木さんは『会社物語』を観るのは、久しぶりですか。
鈴木ビデオで何回か観てるのと、DVDになったときに好きなところだけつまんでちょこちょこ。まとまって映画館で観たのは犬童さんと同様に28年ぶりぐらいです。
犬童鈴木さんて、実は歳が1つ上なだけなんです。つまり脚本を書いたのは20代。定年退職なんて他人ごとですよね。
鈴木全然他人ごと(笑)今がハナさんの役とほぼ同い年ですよ。当時の定年だからおそらく60前って設定だった。
犬童28歳の自分が書いた定年の映画を、その歳になって観た感想はどうですか。
鈴木泣きましたよね、オレ。
犬童(笑)
鈴木どこで泣いたのかって、まずハナさんの顔。ハナさんドラム叩いてすごい顔してるから。最終的にはそこでグッときちゃったんですけどね。
犬童ええ。
鈴木僕が28歳のときなんて、時代はまさにバブルに向かっていて、それでコピーライターで。もう、バリバリでした。
一同 (笑)
鈴木尾形さんは博報堂の先輩だから経験あると思いますけど。あの頃の広告代理店なんて、めちゃめちゃでしたよね。
尾形あのう…めちゃめちゃでした(笑)
鈴木夜中の2時まで会議をやった上で、そのあと六本木に飲みに行ってましたよね。おかしいでしょ? 自分も世の中も、最も元気だったなあっていう記憶があって。その僕が、28歳で定年ていうのを想像してるわけです。その根拠になっているのが、会社報のお別れの言葉を書くにあたり深夜に会社のことを思い出して「会社は村です」っていうハナさんの長いモノローグ。僕はそれを会社生活で感じたという。
犬童この映画の企画はもともとは市川さんじゃなく鈴木さんからはじまってますよね。
鈴木そうです。博報堂でまさに尾形さんと一緒のルームでやってて、昭和の会社というか、そんな感じがありましたよね。
尾形『会社物語』の制作状況は、そばで私もよく見ていました。
鈴木大学生の頃は、いわゆるモーレツサラリーマンが満員電車に乗って非人間的に振舞うのが会社だと思っていました。サラリーマンていうのは個性を失ってしまう人の集まりなんだと思っていたんだけど、いざ入ってみるとそんなことはなくて。
尾形仕事は大変だけど、妙に明るかったんです。
鈴木忙しいのに一緒に飲みに行って、昼飯も一緒に食いに行って、正月になると七福神めぐりとかやったりしてね。個性的であり、村の生活の楽しさと言うか、みんなで頑張り合う知恵みたいなものが入ってるなと思ったんですよね。それゆえに、めちゃめちゃな忙しさでハードだったけども楽しくやれちゃったところがある。この村は、おそらく自分の人生を引き受けてくれるんであろうとみんなが思ってそのつもりでつきあっているという昭和らしさ。これの良し悪しはあるんですよ。ただ、僕はそういったものが好きだったんですよね。博報堂はそういった意味でも良い会社だったと思います。特に僕らのいた部署はね。おそらくその視点を自分なりに見つけられたことが大きな核になって。
犬童けど、会社が大好きだということを、なんで定年する人間の話として描こうとしたんですか。辞めるときにすごくクールに会社を見てるハナ肇の話じゃないですか。
鈴木僕、昔っから年寄りくさいんですよ。中学生の頃からグレン・ミラーとかが好きで、落語も桂文楽とか聴いてたし(笑)おそらく僕が一番好きな世界というのは、テレビ以前。クレージーキャッツの人たちのキャンプとか進駐軍巡りですよね。できればその頃に生まれたかったなって思うんですよ。
犬童ええ。
鈴木それで大好きなジャズと大好きな会社をオーバーラップさせたら、これはなかなかへんてこだぞと思って。そのためのシチュエーション考えていくと、スウィングジャズはもう前の世代の音楽だから、じゃあ定年だと。
犬童んー、なるほど。音楽からきてるんですね。スウィングジャズを使うということはクレージーキャッツの世代だから、定年の話になっていく。
鈴木先ほど尾形さんも紹介してくれたんですけど、会社に入って2年目ぐらいから早稲田で演劇やってた連中とラッパ屋の活動してるんですよ。まずはそれの企画として考えたアイデアだったんです。ところが役者は僕と同い年だから、まだ20代なんですよ。もっと歳とってからのほうがいいのかなあ、クレージーがやったら最高だけどなあ、なんて夢のように思ってました。実現するなんてまったく思ってないですよ。
みんな共通の違和感
犬童その夢がどういうタイミングで実現することになったんですか。
鈴木まず僕と市川さんがどうして知り合ったかというと、コマーシャルの仕事です。実は映画の中にも、村松友視さんが出てきて氷がカチャンと鳴るウイスキーのコマーシャルみたいなカットありましたけれども。おそらく40代以降の方はご存知かと思うんですけど、「ワンフィンガー、ツーフィンガー」っていうサントリーのコマーシャル。ロケハンで僕と市川さんと誰かでタクシーに乗ったんです。そのときに市川さんが「会社モノをやりたいと思ってるんだけどうまくいかなくて」というようなことを言ったんですよ。それで「僕、会社モノだったら企画あるんですよ」「え、どういうの?」って。で、「定年するサラリーマンが会社でジャズコンサートを開くんですよ。これをクレージーキャッツでやると最高だと思うんですよね」とまで言ったんです。そしたら「いいねそれ。鈴木くん、書いてよ」ってその場で発注(笑)
犬童すぐそういうこと言いますよね(笑)僕は『大阪物語』って映画のシナリオ書いてるんですけど。会った初日に言われましたよ(笑)
鈴木なんなんですかね(笑)そもそも僕、脚本家になるつもりはなかったんですよ。もともと演劇も才能ないなと思って会社に入って、コピーライターで燃えてた。
犬童やるぞ、みたいな。
鈴木そうそうそう。でも僕にとっての映画は『太陽がいっぱい』とか『ウエスト・サイド物語』とかさ。とても自分が手を出すものじゃないとどっか思ってたんですよね。だけど市川さんに言われたから、書いた。コピー用紙か原稿用紙の裏かわかんないけど、マス目のないものに、書き方もわかんないまま。
犬童ストーリーラインというか、シノプシス。
鈴木けっこう量あったような気がする、40枚とか。市川さんに渡したら「いいね」って。で、プロデューサーに会って。
犬童中沢(敏明)さんですよね。『BU・SU』と同じプロデューサーです。
鈴木市川さんが「一旦僕に任せてもらっていい?」って言うから「いいっすよ。好きにしてください」みたいな感じだったの。僕の書いたシノプシスでは家庭内暴力の場面とか無いですね。だから観たときびっくりしたんですよ。
犬童ちなみに鈴木さんは家庭内暴力のシーンが入れられてることに関して、出来上がってみてどういう感じで観たんですか。
鈴木ちょっと唐突な感じもしたんですよ。そこに向けて振ってるところもあるんだけども、最初はそれも余計と思ってた。
犬童僕、ほとんど同じ感想。最初に観たときになんで入れちゃったのかなと思ったんですよ。
鈴木やっぱそう?(笑)
犬童だけど今日観たときに、やっぱりボロボロになったあとにドラムは叩くべきだなと思ったんですよ。ボロボロにするための理由は必要だと思うんだけど、それが家庭内暴力なのかは(笑)
尾形あの当時、僕もすごい違和感があって。
鈴木やっぱみんなそうなんだ(笑)
尾形『BU・SU』も、あんなに一生懸命踊ってるのに最後にハシゴ外しちゃうじゃないですか。「どうして市川さんていつも盛り下げるんですか」ってね(笑)だけど『会社物語』は、徹夜でジャズコンサートなんて無理だと思ったところから入ったみたい。
犬童朝に帰らせたいから。
尾形そのために何かで中断しなきゃいけないから、往復する時間とかを含めると整合性があると市川さんなりに思ってたんですよ。「でもねえ」って僕はブツブツ言いながら、そのままになったんですけどね。
鈴木でも先ほど話したハナさんの長いモノローグなんかはまるっきり直してないですね。そういうところもある。市川さんは当日になって新しいセリフを渡したりもしますよね。
犬童僕ね、『ざわざわ下北沢』でセリフ付きの役をつけられたんで、矢口史靖監督と一緒に佐藤信介さんの台本覚えて当日現場に行くと、市川さんが笑顔でやってきて、すごいいいセリフが書いてあるのに「いいよ、セリフ覚えなくて」って言われましたから。
鈴木(笑)
犬童クレージーキャッツのシーンがどうなってるか台本をチェックしてたんですよ、さっき。楽器を弾きながらとか、テープレコーダー聴きながらジャズの話ししてるのとか新橋のとことか、全部アドリブ。書いてあるセリフ一言もない。
鈴木ほとんどアドリブっていうかドキュメンタリー。でも一応セリフは書いてあるんですよね。
犬童うん、書いてあるのに全然変わってて。でもすごく良かったですけどね。
鈴木ここからは市川さんの演技論みたいな大それた話になるかもしれません。僕はコマーシャルもずいぶん一緒にやっていて。たとえば「ワンフィンガー、ツーフィンガー」のCMでもとにかく長回しをする。テレビCMなんて15秒とかですからね。長い尺でも60秒なんですよ。一応このCMは60秒用を作るという前提では回してたんですが、それにしてもとにかく長く回す。
犬童ええ。
鈴木村松さんも素敵なことをいくらでもしゃべってくれるんですよ。「客とバーテンダーの間に、エレガントな殺気みたいなものが生まれることって、あるんだよね」こういうことをアドリブでずっと。
犬童(笑)
鈴木それを市川さんニコニコしながら見てて、フィルム終わってもすぐ取り替えて撮るんですよ。もちろん俳優さんの気をそらさないようにとか集中を切らさないように何か言うんですよ。だから嫌な感じにはならないんだけど、それでもたくさん撮る。OKをするタイミングがあるんですけれども、それは俳優が演技を諦めるところを待ってるんだなっていう。
犬童ええ。うん。
鈴木ある意味、作為みたいなものっていうものを削ぎ取っていくというか。リアルが生まれるコンディションはつくった上で、長回ししたり何テイクも重ねることでその瞬間を待ってる。『ノーライフキング』でも新しいリアルみたいな言葉あったけれども、それを常に現場でやっていた。
犬童でも『会社物語』も長いモノローグはずっと骨格として持ってて、それは捨てないじゃない。『大阪物語』も同じで、脚本書いてるこちらが「変えていい」と言っても核になる言葉だけは絶対に変えないんですよ。
鈴木徹夜でジャズコンサートをやって夜が明けて、他の人は今から会社に出社していくのに主人公は逆方向の電車に乗って帰る。それは僕の最初のプロットにあったと思うんです。そこは変えてないです。
犬童全体の中で本当に重要なところはいじらないんだなと思いましたよね。あと、俳優の演技のためにいじってるというか。たまに入る表情とか、演技していると撮れないショットを挟み込んできたりするんですよ。それを挟み込んでくるということは市川さんにとって大切なことだったんだろうなあと。
鈴木この映画でも、スウィングバンド結成宣言の後はどんどんクレージーキャッツのドキュメントになっていきますよね。そこが圧倒的に素敵ですよね。