弁士・映画館主・映画会社経営者として、日本映画産業の長年寄与してきが大蔵貢が、大蔵映画の前身ラジオ映画株式会社を設立したのは1947年(昭和22年)。1954年(昭和29年)「富士映画株式会社」に社名を変更し、本格的に映画製作に進出。奇抜なアイデアで新たな境地を開き、数多くの作品を発表してきました。
中でも1957年(昭和32年)に公開された「明治天皇と日露大戦争」は大蔵貢による製作総指揮で、当時2000万人の観客を動員し、2001年(平成13年)に「千と千尋の神隠し」が公開されるまで観客動員の日本記録を保持していました。
1962年(昭和37年)にはピンク映画第一号と言われる「肉体の市場」を配給して大ヒットさせ、以降R-18映画への転換を図りました。現在では系列のOP映画にて年間40本近くの作品を製作・配給。製作数では国内一のシェアを誇っております。作品は封切り館「上野オークラ劇場」を始め直営4館に加え、国内約50館の劇場に配給し、さらなる市場を求めて海外進出もしております。
映画部門の他には、事業部門として,全国にボウリング場3センター、ゴルフ練習場、バッティングセンターのスポーツ施設を展開。
不動産部門として、都内にオフィスビル、賃貸マンション、札幌に商業ビルなどを所有しております。
1947年6月昭和22年 | 前身「ラジオ映画株式会社」設立 |
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1954年12月昭和29年 | 「富士映画株式会社」に社名変更 本格的に映画製作に進出 |
1957年昭和29年 | 大藏貢製作総指揮の映画「明治天皇と日露大戦争」2000万人の観客動員記録を樹立 |
1958年2月昭和33年 | 本社世田谷区世田谷に移転 |
1959年1月昭和34年 | 世田谷撮影所(現 オークラランド)取得 |
1961年12月昭和36年 | 「大蔵映画株式会社」に社名変更 |
1962年8月昭和37年 | 系列の「金竜興業株式会社」を吸収合併 映画製作興行体制を確立 ピンク映画第一号「肉体の市場」を配給 |
1964年9月昭和39年 | 本社中央区銀座に移転 |
1965年7月昭和40年 | 系列の「大蔵観光株式会社」を吸収合併 映画の製作興行部門にボウリング場を中心とした事業部を展開 札幌・世田谷・小田原・逗子・伊東・川口・郡山・福島・飯田・新飯田・長野の11センター(当時) |
1978年9月昭和53年 | 創業者 大藏 貢逝去 |
1978年10月昭和53年 | 大藏滿彦代表取締役社長 大藏光邦代表取締役専務 就任 |
1985年7月昭和60年 | 札幌オークラビル竣工 |
1985年9月昭和60年 | オークラランド・ゴルフ練習場オープン |
1986年6月昭和61年 | 新飯田オークラボウル新装オープン |
1986年12月昭和61年 | 伊東オークラボウル新装オープン |
1987年7月昭和62年 | プールハウス自由が丘オープン |
1993年2月平成5年 | 中目黒オークラビル竣工 |
1994年3月平成6年 | 荻窪駐輪場オープン |
1995年12月平成7年 | 福島オークラボウル新装オープン |
1996年6月平成8年 | オークラランド駐車場オートパーキング化 |
2000年12月平成12年 | 小田原バッティングドームオープン |
2002年3月平成14年 | 北品川アパートメント竣工 |
2005年1月平成17年 | オークラランド住宅公園オープン |
2010年8月平成22年 | 上野大ビル竣工 |
2012年2月平成24年 | 東日本大震災で被災した福島オークラボウルリニューアルオープン |